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K. I. 兄の証し②


「役にたたない信仰」


 2006年7月3日逮捕。いずれかはやってくる日でしたが、いざ逮捕されてからの取り調べの20日間と、起訴されて拘置所の75日間は大きな試練でした。月二回、半年間の任意取調べを経ての逮捕とあって20日間の取調べはもっぱら、脅され、優しい言葉を掛けられと自白を中心としたものでした。この20日間は精神的にも肉体的にもかなりの負担でした。一日一時間程度の取調べでしたが、留置所での畳み生活では、昼間は座ることが基本で横になれるのは寝る時だけでしたので、痔がおきて膿納が破裂してしまいました。取調べでは他者がこう言っていたぞ、あいつは落ちたぞ、と不安を掻き立てるといった具合でした。接見禁止がありましたので、一切の外部とのやり取りができず、週一度の弁護士との接見が唯一です。私は自分の事は話しますが、他者の事は誤解を招くのがいやでしたから一切話しませんでした。私の思いはちゃんと調べてくれれば、真実の様子が分かると思っていましたが、なかなかそうは行かず彼らの描いたストーリーの通りに事が運ばないと、そのストーリーに強引に当てはまるように自白を迫ってくるといった具合です。10日を過ぎた頃からは、精神的にもピークに達してくると、常時7人くらい留置されている、誰かの取調べで係官が呼びにくる、留置所の扉を開ける「ガチャ!」という音が何時しか不安と恐怖のシグナルとかし、「どきっ!」と全身に鳥肌が立つようになりました。イライラと不安が全身を覆うようにその場所でじっとしていられず、部屋の中をうろうろと、行ったり来たりと動物園のオリにいるゴリラのようになるのです。一日中、日を見ることなく続くこの不安、薄暗い部屋の中から日を求め、かすかな窓の隙間から外の青空を眺め、何とか気持ちを落ち着かせようと必死に目を凝らして、青い空を食い入るように凝視するのです。自分はクリスチャンだ、この時にこそ、信仰が働き平安が与えられることを祈りました。聖書を創世記から黙示録まで、平安を求め時間がある限り読みあさるのです。夜は21時消灯なので、薄明かりの中でも聖句が読めるように、前もって紙に書き蒲団の中で暗唱しながら寝るのですが、いくら聖書を読み、聖句を暗唱しても何の効果も無く20日は過ぎました。

起訴され京都拘置所に移されました。接見禁止のため単独室で1.5坪位の部屋ですが窓からは内庭が見え、ホットできたのですが聖書からの答えはまだ聞こえてきません。こんどは創世記から1章ずつ要点を箇条書にノートに書き上げていきました。1週間でボウルペン一本では足りない程でした。それでも何の答えもありませんでした。10月6日に漸く(約95日間後)仮釈放となり家に戻ってきました。

それから5ヶ月後の翌年(2007)3月9日の判決。この裁判官は温情ある裁判官として定評な方だということで、執行猶予付きの判決を期待していましたが判決は厳しく、1年10ヶ月の実刑でした。私はそのまま京都拘置所に搬送となりました。これが神様の答えでした。控訴を考えましたが、控訴しても判決に2―3年かかることを思ったら、この重苦しい思いをするよりは、1年10ヶ月でけりを付けようと思い控訴せずに服役を選びました。


(A・W・トウザー聖書日課より)

しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現れが与えられているのです。 Ⅰコリント12:7

現在、神の教会には明らかにすべての必要にまさって、聖霊の力が必要であると私は考えている。より多くの教育、より良い組織、より優れた機材、より進んだ方式など、すべては無益である。

 それは患者が死んだあとに、より良い人工呼吸装置を持って来るようなものである。それがどんなに良いものであっても、いのちを与えることはできない。「いのちを与えるのは御霊です」ヨハネ6:63

 それがどんなに良いものであったとしても、力をもたらすことはできない。「力は神のものである・・・」詩篇62:11

 プロテスタントは、単に「統一戦線」を組むことによって勝とうとするなら道を誤る。私たちに最も必要なのは、組織的一致ではない。必要なのは力である。

 神の力は、すぐに手に入れることができる。私たちが明瞭に設定されている条件を満たして、呼びかけるのを待っているのである。神の明らかな指示に従い始めるとき、神はただちに私たちの上に祝福の洪水を送ってくださる。

人間が空になるまで、神の到来はありえない。私たちが最初に空にならないで、どうして満たすことができるだろう。まず空にし、その後に満たすのが正しい順序である。


トウザー氏の上記のことばは、これからの受刑生活の中で経験していくことになります。


「聖霊の内なる啓発」

詩篇25:5 あなたの真理のうちに私を導き、私を教えて下さい。

あなたこそ、私の救いの神、私は、あなたを一日中待ち望んでいるのです。


 私が京都拘置所で刑が確定(下極)し、何処の刑務所に送られるのかが決まるまで居る輸送待ち受刑者として、ひと部屋7人前後の部屋での出来事でした。

この部屋には色々な方がいて、私の様な初めての者はほとんどおらず、2回目3回目と多い人は20回目の人もいました。毎日軽作業として、お土産で買った物を入れる紙袋等を、一枚の紙から仕上げる仕事を8時から17時まで月曜から金曜日まで毎日しています。同じ仕事ばかりなので飽きてしまうのです。昼の楽しみは、ラジオでNHKお昼の、のど自慢大会 を聞くことでした。ここに居る多くの方々は、この様な状況の中での楽しみ方を知っていました。何も遊ぶ物が無くても造り出す術を心得ていて、ある方がこの、のど自慢で誰が一番になるかを当てる遊びを提案しました。当然これだけでは面白くないので、何かを賭けることになります。そこで皆が持っている80円切手一枚を賭けることにしました。やり方は簡単、20本のアミダくじを作り、一口80円で一人2,3口選ぶことになります。先に自分の番号が決まり、ラジオを聴きながら自分の持っている番号の歌が旨いか下手かを聞き入るのです。これがなかなか面白いのです。こんな娯楽もあったのかと感心していたのも束の間。一人だけ、この遊びに参加していない人が、これは紛れもなく賭博行為であり懲罰になると進言するのです。私は一回楽しんだ後で大変なことと知り、後悔しました。次の日も、また同じこの遊びが始まりました。私には一度やっているので断る勇気が無く、ずるずると一口参加しないわけにはいきませんでした。私は今までこの様な時に、とっさの祈りをしたことが無かったのですが、この時ばかりは真剣に心から神様に祈りました。「神様助けて下さい。」心の中で叫びました。刻、一刻と12時が近づいてきます。12時 「ポー」と昼のサイレンとともに、のど自慢の始まりです。すると突然、ラジオ放送が臨時ニュースに変わり、「ただ今、三重県で震度5強の地震が起こりました。」と速報でした。(2007/4/15)このニュースのおかげで、のど自慢大会の放送は取り止めになったのです。私は唖然としました。こんなことが、こんな偶然・・・あまりにもの絶妙のタイミング。主が私の祈りに答えてくださった?この私のために・・今までにない初めてのこの体験によって、私は強く神様に引き付けられることとなりました。この日から祈りは聞かれるのだと体験したのです。

主の御臨在、主は生きておられる方。この経験を通して聖霊様の内なる啓発とは、表に現されたこの不思議によって私の内に御霊様の臨在がハッキリと確認、確信へとつながるのでした。奇跡は主の臨在の啓示として表される恵みなのですね。この日を境に私の内の何かが燃えはじめたようです。ここから1年6ヶ月の受刑生活へと続くのですが、この間、多くの不思議を経験し、主の御臨在を体験させられました。今もこの体験は続いています。


「魂から隠されているものを顕わにする聖霊の力」


「風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない」  ヨハネ3:8


 京都拘置刑務所で、神様の不思議な御臨在を通して、初めて知ることになった御霊の世界。次から次へと起こるトラブルが、私には直接影響を与えることなく処理され、私は夢のようでした。私の今までの経験では、推し量ることの出来ないストーリーがありました。

この刑務所は、私が考えているような所とはちょっと違いました。毎日決まったスタイルの仕事を続けるのではなく、拘置所では、まだ裁判中で判決が決まっていない未決者約450人前後と、判決は決まっていますが、行き先の刑務所が決まっていない既決受刑者約50名前後が拘留されています。この方々の食事や洗濯と、管内の清掃管理のためにある刑務所(50名前後)です。仕事の内容は、ある程度自分たちで組み立て手際よく仕事をこなすといった具合ですが、その分、不正も多く発生します。そのため不始末は連帯責任を問われます。平均年齢は30歳代が中心で、私の様な50歳以上はわずかです。仕事の内容によって配置される人数はいろいろです。私が配置されたのは、既決受刑者約50名が収容されているフロアーで、3名が配置されています。この管内でもっとも重労働とされているところです。同じ受刑者達は私が腰痛も抱えていたので、そんなに長く続かないと予想していたようです。20,30代の若者と同じ仕事はなかなかのものでした。特に真夏の作業は一日立ちっぱなし、走りっぱなし、休み時間はほとんどない状態でした。私は糖尿病もあったので、食事制限 (一日 1700カロリー)されていましたから、入所時98kの体重はあっという間に68kになりました。そんなある日曜日、2人で食事配給の仕事中に、相手の人が、他人のご飯を少し削って自分のお椀に入れているところを刑務官に見つかってしまいました。当然連帯責任を問われるところでしたが、このフロアーが30メーターぐらいあるため、私は彼とは全く正反対の所で給仕の仕事をしていましたので、共犯とはみなされずにすみました。平日3人で給仕をするときは、3人が一列になって行うのですが、日曜日は2人なので、手分けして行いましたので、この別行動が私を共犯者とみなされなかったのです。この事件は、窃盗になりますので罰は重く、彼は30日の独房正座となりました。彼は今回が初めてではなかったこともあり、不良輸送として別の刑務所に送られました。3人で共同作業をしていますから、一人で不正を行うことはかえって難しく、三人の協力があって初めて不正成立となるのです。私はこの二人に前もって、私は不正の片棒を担ぎたくないことを、伝える勇気を主から与えられていました。彼らにとって、とてもやりにくいメンバーでした。なかなかこの様な環境の中で、一人善人ぶる行為は、反感の元となりうることです。もし今までの社会環境のようであったならば、私は見て見ぬ振りをしたことでしょう。それが無難に過すための秘訣だからです。御霊様は、私の内にあって、私の魂を照らすことによって神の義を啓示される。今まで気付くことの無かった主の義が私の前にはばかります。揺り動かされることのない神の義です。御霊の力は、勇気を、無条件に神の義に従う心を与えてくださる。私が今まで見えていなかったもの、神の義、御霊の力が今はハッキリと見え確認できます。

2008年8月からもう3年近く経ちますが、より一層主の御臨在を知ることによって、益々ほかの霊的な事柄も、想いの中ではっきり浮き出てきます。 


「主の祝福」 


1年4ヶ月間の服役によって、当然仕事も無くなりました。でも、この状態の中で一社が細々と仕事を継続してくれました。家内がその仕事を続けていました。その仕事は、今テレビでCMしている「青汁〇○」と言う商品です。この商品の卸し販売する仕事です。出所してから、私はこの商品の拡販計画を立て、現在販売している一地域だけでなく、全国販売基準に適した商品となる様に、「青汁〇○○」を企画販売につなげられました。でも、これだけの利益では十分ではありませんでした。出所して1年が経ち、貯えもそろそろ底を突き始め、日本の経済もいまだ回復せず、収益も上がらず。そんな中、政府で亀井大臣により「モラトリアム」政策がとられ、借り入れ返済の据え置きが出来るようになりましたので、私も会社と住宅ローンの返済を1年据え置くことにしました。これでどうにか、1年しのぎました。それと、私が出所するのを待っていてくれた人がいて、その方のいる会社が、新しい商品開発に当って、私にその依頼がきました。その仕事は新しいオリジナル青汁を作ることでした。私にとって得意とする仕事で、早速、試作品を作り商品化され、販売に結びつきました。こうして、少しずつ収益も上がってきましたが、それでも十分なものではないので、2011年の返済をもう1年据え置くことにしました。

この状況にあっても、私は特別に営業活動を一切していません。かつては、人より先に行動し先回りして、仕事をゲットしてきました。その為に、東京、名古屋、大阪と毎日のように飛び回り、365日家で夕食を食べたことがないのが何年も続きました。その結果、仕事は順調に利益も上がり、年商5億ほどになり、有頂天の極みでした。


「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。

欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。」(ヤコブ1:14,15)


その結果が刑務所でした。確かに頑張ればその分の見返りはありました。でも私は決して、満たされませんでした。この世の法則での、地位、名誉、財産では、人は満たされないのです。誰もが知らされているのに、人はそのものを追い求めて、飽くなき欲に動かされ滅びへと向かっているのですね。私自身、身をもって体験しましたから、私はあえて、この世の法則を無視しました。何もしないで、ただ祈ることにしました。(何もしないとは、自分の力でする営業のこと)

「晴耕雨読」です。その日が雨なら、御ことばを読み、天候が好ければ畑を耕す。この世の法則は、自分の力で行動しますが、自然の法則は自分の力では、どうにもならないものです。春になれば種を蒔きますが、芽が生えるは種の力です。成長させるのは、大地と天からの雨によって成長させられます。ここに人の力は何一つ無いのです。自然の法則に従うことは、だだ、待つことなのだと思います。本来人もこの法則によって、生かされているはずなのに、自分勝手に行動し自然の法則を無視することによって、死を迎えているのですね。私は失敗を通して、実は生かされているのだということに気付かされました。だから、あえて私は、この世の法則ではなく、自然の法則に従うことにしました。そして、3年が経ち4年目を迎えています。今はどうでしょうか、与えられているものは、「青汁〇○○」の販売会社への卸しと、私が出所するのを待っていてくれた人による、オリジナル青汁新企画販売。そして、この3月から新たに新しい会社からのオファーによる青汁生産が加えられました。私は何もしていないのに、仕事が与えられて行くのです。私は、「晴耕雨読」ただ、祈り求め与えられたことに感謝し、喜び、賛美、礼拝します。


幸いなことよ。

悪者のはかりごとに歩まず、

罪人の道に立たず、

あざける者の座に着かなかった、その人。

まことに、その人は主の教えを喜びとし、

昼も夜もそのおしえを口ずさむ。

その人は、

水路のそばに植わった木のようだ。

時が来ると実がなり、その葉は枯れない。

その人は、何をしても栄える。(詩篇1:1~3)


まさに、この詩篇の歌のようです。全てを主が与え備えてくださるのです。その秘訣は、主を信じ従い、主の霊と共にあることなのですね。

それでも私は、愚かで鈍い者ですから、肉の思いが今でも働きます。「本当にこのままでいいのか、大丈夫なのかと。」疑う心があります。それも正直に、主に告白し祈ります。毎日毎日が、祈りなくしていられないのです。何も思い煩うことなく一日一日の苦労で十分です。明日は主が心配してくださる。と教えています。まさに今日を生かされていることを祈ります。

この様にされたのは、全て主の御霊の御臨在にありました。刑務所での1年4ヶ月の間に、主の御臨在を知りました。この世のものは全て消えうせ無くなりましたが、御霊の世界にあって、目には見えない誠の真実「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」を知らされました。この御霊の実は、私を満たし、溢れるばかりに私を覆い主の衣であるキリストを着せられました。不思議です。言いようもない、この想いが私を包み、主の祝福に満たされ溢れています。


2011年3月


2007/3/9~2008/7/29まで服役その間にコイノニア会の私市元宏先生の「ガラテヤ人への手紙講話と注釈」と出会い主の臨在に触れ大きな衝撃を受ける。

その後、東京コイノニア会、京都コイノニア会で交わりが与えられ現在「コイノニア東京集会」として新たな一歩(2019/11/16)を踏み出す。


2019年11月

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