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コイノニアって何? (2019年11月16日 Y. A. 兄 講話)

更新日:2020年1月30日

 高校時代のスポーツと言えば、ラグビーでした。普通なら、剣道とか柔道を習うのですが、体育教師がラグビーをやっていたせいか、とにかくラグビーでした。タックルのやり方とか小さいながら教えてもらいました。それ以来すこしもやるという機会もありませんでした。

 先日来、ラグビー世界大会があり、にわかファンで日本チームの活躍をみながら、声援をおくっておりました。半数近くが外国人からなる日本チームをみながら、国籍も生育背景もちがう人たちが、一つの日本チームを作って、4年間この大会のために、強化練習をしてきたということでした。

 ワンチームということばが何度かとりあげられていました。「ワン フォオ オール オール フォオ ワン(一人はみんなのために みんなは一人のために)」ということばが、ラグビーにはあるそうです。確か、フランスの三銃士に出てきたことばではないかとおもいます。

 ラグビーはイギリスで生まれたスポーツで、紳士であることがもとめられています。あの相撲取りのような体格の選手達が、本当にぶつかりあって、その衝撃音にはげしさを実感することができます。それにもかかわらず、つかみ合いの泥仕合、けんかに発展しないよう自制するところに、熱い血潮のたぎる男らしさと、理性をはたらかせる別の面の男らしさを感じさせます。体は全身全力でまえにすすむのですが、いつもボールを自分より後方にしか投げてはいけないということで、理性が働いている。単に体力と前進あるのみであれば、こういう理性の働きはないと思います。ほんとうにわくわくしながら、試合観戦をにわかファンでありますが、いたしました。

 ラグビーには先ほどのように「ワン フォオ オール オール フォオ ワン(一人はみんなのために みんなは一人のために)」ということばがありますが、ほかにも注目すべきことばがあります。試合最後を示すノーサイドということばです。あれほど、からだをぶつけ合って試合をしたにもかかわらず、敵味方なく、その闘いを受け入れ、相手に敬意をしめすことです。

 世の中のいろいろな紛争や争いごともラグビー風にできれば、どれだけかぜとおしのよい世界がうまれるかしれないとおもいます。現実の政治的な世界はスポーツとは違う原理でうごいているので、しかたがないともいえますが。

 さて、こういうチームづくりは、非政治的なものであれば、ほかでも可能ではないかと思い、どうすれば、建設的なチームができるだろうかとかんがえます。既に、故人になりましたが、平尾誠二というラガーマンがいました。神戸製鋼ラグビー部ゼネラルマネージャーであり、スポーツコミュニティ&インテリジェンス機構理事長で、今回のワンチームの日本を計画したひとでもあります。

 かれは、コーチの大切さ。コーチングについて、こういっています。


「コーチング」とは、プレイヤー(競技者)との相互コミュニケーションの中で、プレイヤー自らが問題を発見し、課題解決を経て 目標達成できるように サポートすることである。企業などの人材育成プログラムが重要視されているのは、本来の「コーチング」の思想にもとづいたスキルが、普遍的な人材育成スキルとして期待されているからだ。

  

 クリスチャンにとってのチームとは何だろうかコーチとは何だろうか? すこし「コイノニア」とその周辺について、考えてみましょう。コイノニアとコイノニアを成立させる主催者、がそれにあたるのではないでしょうか。

 では、「コイノニア」とは何かというと、良く似たことばがあります。コイネーというのがあります。新約聖書が書かれているギリシャ語のことで、コイノニアと同じ語源をもっています。英語で言うと、コモン=共通する、通俗的なという意味があります。ギリシャ語はイエスさまのころの世界共通語でした。いまであれば、世界共通語の英語みたいなものですね。誰にも、共通して通じるギリシャ語で聖書を書かれている訳です。コモン・ラングェジがコイネーです。ここには共通、共有という概念があります。

それ以外、もう少し、コイノニアについてみてみたいのですが、コイノニアトいうことばを、コンコルダンスという辞書で調べてみますと、


① 交際(まじわり、ここから聖餐式という意味も出て来ています)

   使徒2:42 Ⅰコリ1:9 Ⅱコリ6:14 13:13

   ガラ2:9 ピリピ2:1 ピレモン6 

   Ⅰヨハ1:3、6、7 

② 与る−あずかる(祝福の恩恵に参与する)

   Ⅰコリ10:16 Ⅱコリ8:4 ピリピ1:5、3:10

   →V コイノ―ネオー

③ ほどこし

   ロマ15:26 Ⅱコリ9:13 ヘブ13:16

   →N コイノーニコス 

    あずかる者、友、雑


 大きく言って、①交際(まじわり ② 与る−あずかる ③ ほどこし ということになります。

 コイノニアは、キリスト教の中心的なあり方をしめしています。このコイノニアの中心は、Ⅰコリ1:9にあるとおり、


神は真実なかたである。あなたがたは神によって召され、御子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに、はいらせていただいたのである。

 私たちが、ワンチームであるのは、この主イエスさまによるのであり、また、ラクビーになぞらえれば、コーチもイエスさまなのであります。

 先週の私市先生の「ヨハネ会」で、コイノニアのあり方について 具体的なアドバイスがありました。


一文書の人になれ。エブリシング アバウト サムシング、サムシング アバウトエブリシング。一人一人が聖書の一文書に没頭しなさい。それを分かち合いなさい。交わりのなかで、自分たちが得たものの祝福、恩恵にあずかりなさい。それは、信仰のほどこしにもなるわけです。

 先生の勧めをきいて、わたしは、コイノニア会の精神と聖書の読み方を結びつけて考えようと思いました。それで、ヨハネ会は半年に1度しかありません。それでは、じゅうぶんではないので、この東京コイノニアの交わりのなかで、すこしづつヨハネ会の準備をすれば、いいのではないかと思う訳です。

 私は、ヨハネ第1の手紙に取り組もうとかんがえています。ヨハネ共同体と同じ考え方が流れているので、ヨハネ福音書といっしょに読んでいくと、より深い学びと信仰の深みを体で体験できるのではないかとおもうからです。提案ですが、みなさんも1文書を決めて、取り組み、少しずつでも半年先の会に準備されたれいかがでしょうか。ヨハネ第1の手紙の3節、6節、7節に早速コイノニアということばがでてきます。次にはここから、はじめたいとおもっています。

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