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ヨハネ第1の手紙 2:7〜11 (2021年5月8日 Y. A. 兄 講話)

 5月の連休も緊急事態宣言のため、特にどこに出かけることもなく、終わりました。高齢者のワクチン接種も、こちらはまだ連絡が来ない現状です。イスラエルがこの接種ということで世界的に注目されていますね。他国と比べ規模が小さく、小回りが効き、危機対応が迅速であるということでしょうか。規模の小さい国々は多くありますが、こんなに国民レベルで対応が早いのは、やはり国家的な危機意識がいつもあり、具体的な対策を実施するにやぶさかではない、歴史的な性格ということでしょうか。


 さて、今日は「愛する者たちよ」で 呼びかけられている2:7から11までについて見ていきたいと思います。

 

 2:7 愛する者たち。私はあなたがたに新しい命令を書いているのではありません。むしろ、これはあなたがたが初めから持っていた古い命令です。その古い命令とは、あなたがたがすでに聞いている、みことばのことです。

 2:8 しかし、私は新しい命令としてあなたがたに書き送ります。これはキリストにおいて真理であり、あなたがたにとっても真理です。なぜなら、やみが消え去り、まことの光がすでに輝いているからです。

 2:9 光の中にいると言いながら、兄弟を憎んでいる者は、今もなお、やみの中にいるのです。

 2:10 兄弟を愛する者は、光の中にとどまり、つまずくことがありません。

 2:11 兄弟を憎む者は、やみの中におり、やみの中を歩んでいるのであって、自分がどこへ行くのか知らないのです。やみが彼の目を見えなくしたからです。

(新改訳聖書)

 

ヨハネの手紙は二項対立のように対比することばで文章を組み立てています。


 「わたし・書く」と「あなたがた・持っている(聞いた)」

 「新しい命令(戒め)」と「古い命令(戒め)」→みことば

 「キリスト」と「あなたがた」→真理

 「光」と「やみ」

 「兄弟を憎んでいる者」と「兄弟を愛する者」

 「やみの中にいる(歩んでいる)」「光の中にとどまる(つまずくことがない)」


命令(戒め)については、2:3から5までにも書かれています。


 2:3 もし、私たちが神の命令を守るなら、それによって、私たちは神を知っていることがわかります。

 2:4 神を知っていると言いながら、その命令を守らない者は、偽り者であり、真理はその人のうちにありません。

 2:5 しかし、みことばを守っている者なら、その人のうちには、確かに神の愛が全うされているのです。それによって、私たちが神のうちにいることがわかります。


 「神の命令(戒め)を守る」と「命令(戒め)を守らない」

 「神の愛が全うされている」 「偽り者」

 「神を知っている」  

               「真理はその人のうちにない」

 「神のうちにいる」


 このように、対比させながら、話を進めていくことによって、過去と現在、自分たちヨハネ共同体の立場とそれに対立する立場がはっきりしてきます。分離せざるをえなくなった共同体の仲間に、手紙をとおして、思い出させること(想起)

が容易になったのではないかと思います。


 しかしながら、具体的には、明瞭さを欠いています。仲間内だけが分かっているようで、それ以外の部外者にとっては、分かったようで分からない何かしらもどかしい気がいたします。ヨハネの手紙の時期の具体的な意味合いを別の言葉で探したいのですが、なかなか発見しづらいです。「光と闇」の対比はヨハネによる福音書にキリストと関係させてでてきます。


 「私は世の光である」(ヨハネ8:12)

 「光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光より闇の方を好んだ」(ヨハネ3:19)


 古くからある戒めが、光として来たキリスト・イエスによって、新しい戒めとして提出されているのです。


 ヨハネ共同体とは別ですが、背景知識や他の聖書箇所を援用しながら、補足して、予想しながら理解にたどり着く努力をしてみます。マタイによる福音書の律法学者とのイエス様との対話から、「古くて新しい戒め」とはなにかが少しかいま見られます。旧約聖書に精通したパリサイ人は戒めについてイエス様にいつも問いかけていました。そこに、「キリストの光によって明らかにされた真理」(NEB直訳ヨハネ12:9)があきらかにされているように思えます。


 マタイ22:34〜40

 「先生、律法の中で、どの掟がもっとも重要でしょうか。」

 イエスは言われた。

 ①「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。

 ②第二も、これと同じように充用である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」


これは、申命記10:12〜13とレビ記19:18にすでに記されているみことばです。


 話は少し飛びますが、先週のテレビ番組「なんでも鑑定団」をご覧に成った方はいらっしゃるでしょうか?わたしの好きな番組の一つで、骨董品と言われて、家にある美術品とか壷等、専門家に鑑定してもらう趣旨のもので、先週は西郷隆盛の自筆の額が出品されていました。そこには「敬天愛人」と書かれていました。天を敬い、人を愛すという意味です。西郷の良く好んだ句です。論語や儒教のことばではありません。この言葉には聖書の影響があるといわれています。どこまでが史実か分かりませんが、上で述べたイエス様の第一の戒めと第二の戒めを四文字熟語のようにまとめるとするなら、こうなるのではないかと思います。幕末、明治期の賢人たちは、中村正直にしろ、西郷隆盛にしろ、この「敬天愛人」ということに心を動かされたに違いないと思います。


 ヨハネ第1の手紙の著者も受け手のヨハネ共同体の人もイエス様の言葉を思い出したはずですが、「敬天愛人」ということとあまり遠くないと思います。イエス様が世の光となって、古くあるみ言葉に光を当て、新たにイエス様ご自身を真理として受けとめる時、神を愛し、兄弟を愛するという生き方が現実のものとなります。「戒め(神の命令)」、「古い」、「新しい」、「真理」、「みことば」、「光」 等々 一見なんら関係ないような言葉の羅列がこのような文脈のもとでつながってきます。


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