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ヨハネ第1の手紙 2:18〜27 (2021年9月11日 Y. A. 兄 講話)

 オリンピックが終わり、パラリンピックも終わりました。すべてを見た訳ではありませんが、なかには日頃日本ではなかなかとりあげられない競技もあって、採点の方法も勝敗の判断の基準も分からないながら、夜遅くまでみたものもありました。バリエーションの多さでいえば、パラリンピックのほうがオリンピックよりもまさっていたのではないかと感じました。まあ、多様性をうたったオリンピック、パラリンピックも無事に終わり、主催者ではないのに、「終わりよければ、全て良し」という気持ちになりました。あとは、コロナが終わるだけでしょう。これはなかなか終わりそうもないようです。


 時というのは、待つ人にとっては、なかなかやってこないものかもしれません。英語の諺に「みつめるポットはなかなか煮えない(A watched pot never boils.)」とあり、気が短くイライラしている人に対するやんわりとした非難、心配しても事はすすまない、ということを意味していますが、コロナの終息はいつのことかわかりません。


 終息(収束)と言えば、クリスチャンの世界に一つの疑問、課題があります。それは、「終末の遅延」という問題です。

主イエスは「時は近づいた、悔い改めて、福音を信ぜよ」と言って宣教を始め、主イエスの昇天後、弟子たちも「マラナ・タ(わたしたちの主よ、来てください)」と言い、終末がごく近いものとして緊張感をもって待望していました。しかしながら、「主の日」はなかなかやって来ない。ここに、終末などないと考えるおそれがでてきました。それに対し、終末が来ないのではなく、遅れているという考えが生まれてきました。


 「終末の遅延」はその後、福音書の記述はじめキリスト教会に大きな変化をもたらしました。ヨハネの第1の手紙は、まだ終末がごく近いものとして緊張感をもって待望していたころのものと思われます。この手紙が書かれた理由の一つが「終わりの時」という言葉です。執筆の緊急性を思います。どうでもいいことなら、そのままなにも書かずにすますことも出来たかもしれませんが、この時にはどうしても書かずにはおれなかった、切羽詰まった問題がありました。

 

2:18 子供たちよ。今は終りの時である。あなたがたがかねて反キリストが来ると聞いていたように、今や多くの反キリストが現れてきた。それによって今が終りの時であることを知る。

 

 終末と反キリストがここで述べられています。反キリストについては、ここで述べられている意味とその後、展開して黙示録的にとらえられた意味とはすこし違いがあるかもしれません。将来より深められて神学的にとらえられるようになる以前の、初期的な段階での意味でとらえられるものだと思います。もっと局地的で制限をうけたかたちの歴史的な背景をもった人々、グループをさしているかと思われます。


 この手紙から分かる反キリストについては、次の通り描かれています。

〈反キリスト〉

​〈ヨハネ共同体〉

2:19 彼らはわたしたちから出て行った。しかし、彼らはわたしたちに属する者ではなかったのである。

元来、彼らがみなわたしたちに属さない者である


2:21 すべての偽りは真理から出るものでない


2:22 偽り者とは、イエスのキリストであることを否定する者。父と御子とを否定する者は、反キリストである。


2:23 御子を否定する者は父を持たず


2:26 わたしは、あなたがたを惑わす者たちについて、これらのことを書きおくった。


2:19 わたしたちに属する者であったなら、わたしたちと一緒にとどまっていた。



2:21 あなたがたが真理を知っているからである。



2:23 御子を告白する者は、また父をも持つのである。

 ここには、反キリストについて、簡単にえがかれています。かつては一緒だったが、離れていった元グループメンバーであること。イエスがキリスト(救い主)であることを否定すること。父なる神・子なる神(キリスト)との関係を否定すること。また、自分たちの考えによってヨハネ共同体の人々を惑わそうとすること、等々。手紙の著者は「惑わす者」「偽りもの」と呼び変えています。同手紙の4:3には「反キリストの霊」という語があって、霊的な存在を暗示していますが、後々黙示文学の中に救い主イエス・キリストに敵対する霊的な存在としてとらえなおされているものとは少しニュアンスが違う様に思えます。「偽教師」という捉え方ではなかったでしょうか。


 初代キリスト教会、とくにヨハネ共同体にとって、一番大切な信仰の核心を揺り動かす思想をいだく人々が現れて来たことに、手紙の著者は終末を見、警告する必要性からこの箇所を書いています。


 問題は、この手紙の著者が言うグループは自分たちのことを決して「反キリスト」とは思っていなかったろうと予想できます。自分たちはキリスト教会に属していることに疑いはなかったと思います。この問題は外部の問題ではなく、教会内部の問題としてくわしく取り組む必要があります。彼ら(「反キリスト」と呼ばれる人)が何を肯定し、何を否定したかを、この手紙を読み進めていくうちに、よくよく見なければ、単純な二元的な価値観で割り切る過ちに陥り、同じような問題がくりかえされ、現在化し、それを見分け、判断することもむつかしくなります。


 この問題の背景には、①エビオン派ユダヤ人キリスト教徒、②ケリントス主義、③仮現主義、④グノーシス主義、⑤超越的キリスト論、などの考え方があります。背景知識については、私市先生の『ヨハネ福音書 講話と注釈』上巻 pp.87〜96〈「反キリスト」とは誰か?〉に詳述されているので、ぜひお読みいただきたいです。


 ここで、反キリストという分離派に対し、著者は「留まる」ということばで、ヨハネ共同体の人々に勧めています。「留まる」という事に対して日本人は、ある種の恐れを感じてしまう傾向があるのではないでしょうか。「そんな事をしていたら、車にのりおくれるぞ。」時代に、流行におくれないように、特に明治以降一生懸命息急ききらして、まえのめりに進んで来た事で、一応の時代に追いついて近代社会の恩恵に与っているように思います。時に、急ぐ事は必要でも、立ち止まって考えることも大いに必要であると思います。


 内村鑑三が、留学中にシーリー先生から教えられたことのひとつに、こういうことがありました。「君は、樹の成長を確かめるために、なんども樹を引っこ抜いて見ているが、それは本当の樹の成長にやくだたないばかりか、かえって害する事になる。樹の成長を、土の中の根の成長の時にまかせることにしてはどうか」それで、内村鑑三は焦る心をおさえて、成長の時に身をゆだねることにしたそうです。

 

 2:24 初めから聞いたことが、あなたがたのうちに、とどまるようにしなさい。初めから聞いたことが、あなたがたのうちにとどまっておれば、あなたがたも御子と父とのうちに、とどまることになる。

 2:25 これが、彼自らわたしたちに約束された約束であって、すなわち、永遠のいのちである。


 2:27 あなたがたのうちには、キリストからいただいた油がとどまっているので、だれにも教えてもらう必要はない。この油が、すべてのことをあなたがたに教える。それはまことであって、偽りではないから、その油が教えたように、あなたがたは彼のうちにとどまっていなさい。

 2:28 そこで、子たちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、彼が現れる時に、確信を持ち、その来臨に際して、みまえに恥じいることがないためである。

 

 終末を待つクリスチャンは〈イライラしながら〉待つではなく、ヨハネ共同体にとって、一番大切な信仰の核心としてのべられているとおり、揺り動かされることなく、キリスト・イエスに留まり(エンクリスト) つづけることであるでしょう。


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