top of page
  • admin

ヨハネ第1の手紙 4:1〜6 (2022年1月8日 Y. A. 兄 講話)

 新しい年を迎え、この年はどう進んでいくのかという期待と予測のつかない気持ちで日々すごしています。世界が大きく変化していくような転機の年になるのかも知れません。皆さんにとって、この年がどのように臨んでくるか、どう想像されていますか?

今問題・課題となっている諸問題に対し、自分なりの予想をたてて、今年の年末にどの位あっていたかを検証することもおもしろいかも知れません。1年と言わず、3ヶ月でもいいかもしれません。何を基準に思いはかればいいのかと考えることが多くなりました。考えるにあたって、ヨハネ第1の手紙4章1節から6節の中にある、3つの表現についてみてみたいと思います。


① ヨハネ第1の手紙4章1節から、口調がかわり、信じる者に注意を促すことばから始まっています。「〜どうか確かめなさい」(命令形) ドキマゾー:試す、証明する、吟味するという言葉は、面白いことに、ヨハネによる福音書には出て来ず、パウロの言葉に頻出するようです。


新約聖書全体では20カ所登場します。(ルカ12:56, 14:19 ローマ1:28, 2:18, 12:2, 14:22 Ⅰコリント3:13, 11:28, 16:3 Ⅱコリント8:8, 22, 13:5 ガラテヤ6:4 エフェソ5:10 フィリピ1:10 テサロニケ2:4, 5:21 Ⅰテモテ3:10 Ⅰペトロ1:7 Ⅰヨハネ4:1)


何を吟味するのかというと、「神から出た霊」かどうかを「確かめなさい」とあります。


・「何が本物かどうか確かめなさい。」


 ここで、私の失敗談をはなしたいとおもいます。先日、コンピュータをいじっていたとき、急に画面がフリーズし(かたまり)警告音でウィルスにかかり、ハッカーに情報がのっとられる危険がありますとアナウンスが入ってきました。

 これをとめるには、取り扱いの電話番号に電話して、処理して下さい。電源を切ると、情報がハッカーの手に渡ります。何度も、同じ音声が流れました。画面が固まっていて、電源を切ることも出来ないので、電話をかけました。出た担当者は外国人で、電話の通話状況も悪く、要領が得ません。画面はMacOSとなっており、電話するしか方法がない様に思え、電話しました。携帯で要領もえず、話を伺っていくと、近くのコンビニにいき、Google playカード5万円を購入せよとのことでした。短い時間でまっているので、すぐに行動して下さいとのことでしたが、そんなに短い時間では対応できないことを言い、一旦電話をきり、再度電話すると言いましたが、それは出来ない。待っていると言うことでした。別の家電話で銀行とカード会社に連絡をとり、取り扱いをとめてもらいました。

 それから、知り合いのMacの修理店に電話し、携帯はそのままの状態にして、相談に出かけていきました。これは、「釣り」と言う者で、詐欺なのだそうです。警察には電話はしませんでしたが、修理店の人にキチンと処理していただきました。

 家では、電話詐欺にかからないように、また「宅急便がとどいています」などの偽メールには、取り合わない様に、言っていた私ですが、まんまと引っかかりそうになりました。近くに信用のできる方がおり、急がせる偽Macソフト屋の電話に従わなかったことで被害をまぬかれました。でも、本当にあせりました。画面がMacOSそっくりで、できていたからです。

 偽物、詐欺と言うのは、本物を偽装するのに、周到な罠をしかけていることを知った一件でした。

 初代教会、まだ、キリストの記憶も確かで、さほど経っていない頃に、すでに本物そっくりな偽信徒がうまれてきています。それゆえに、信じる者に注意を促すことばから始まっています。「〜どうか確かめなさい」(命令形)


3:26には、「反キリスト」が「惑わせる者」として現れていると述べているが、4章では、「偽預言者」(プセーウドプロフェーテース)と言い換えています。もともとは、ヨハネ共同体に属していた者たちで、そこから分離して、出て行った者たちのことでありますが、4:6には「真理の霊」と「人を惑わす霊」を見分けることが求められているのです。

ここでいう霊と言う言葉は「者」「人」といいかえることもできますが、人の背後に働くより深い霊的な存在を想定されているのでしょう。反キリストが2章では具体的な人々であったらしいのが、ここにいたっては、そういう人々を惑わす霊的な力、存在を想定されます。


② 「神から出ている」という表現:「エクトウ テウー」は次のキーワードになるかと思います。神に属すると言う表現がいままでもありましたが、ここではこういう表現がなされています。


 最近のテレビで「ファミリーヒストリー」などという番組等があり、芸能人の先祖や出自をたどっていくものがあり、よく調べたなあと感心しながら、そんな昔までたどっていけば、どこかで日本人はみんなつながっているのではないかと感じさせられています。まあ、もとをたどれば、アダムとエヴァの子孫ですから、つながっているのは不思議ではないのですが。


 ヨハネは人間的な、肉体的な出自を問題にしているのではない。神に属しているか、そうでないか、「神から出た」か「出ない」かが問題なのだといっているように見えます。肉体的にどんな出身でも問題になりません。問題は、神に属することです。新約聖書のほかの箇所にもこの点に注目しています。真理の霊と偽りの霊の判断基準が、神由来の存在かどうかにかかっていると言うのです。

 私達が、基準とするのは「神」への帰属です。そして、それを証明するのが、4:2

イエス・キリストが肉となって来られたということを公に言い表すということにつながっています。この信仰告白は大切なもので、これは、神の霊(聖霊)の働きなしには不可能なことだからです。神に属さない者にはこの信仰告白ができないのです。それを「反キリスト」の霊といっています。

 仲間と目される人々のなかで、キリストを言い表さない人々が当時でてきたのです。ドケティズム(仮現主義)やグノーシスと後々名付けられる人々です。


 「その頃、グノーシスという異端がいて、イエス・キリストの肉体を本当のものではなく、仮のものだと主張していたのです。ふつう〈キリスト仮現説(ドケティズム)〉と言われます。〈神さまは、この汚れた人間の肉体をとることなどない、その肉体は仮のもので、真の肉体ではない〉という主張です。神を霊的に高めるあまり、抽象的な霊で満足するのです。しかし、イエス・キリストは、実際にわたしたちと同じ肉体をとって、この地上にこられました。これはヨハネ福音書でも、一章の初めからロゴスの受肉(1:14)として述べられ、強調されています。もしキリストを高めるために、その肉体を否定するなら、わたしたちはただ霊的なキリストを信じているだけで、地上に来て、人々と交わり、罪人を愛し、そのために十字架にかかり、死なれたイエス・キリストを信じていないことになります。しかし、わたしたちは、このようにナザレのイエスを生ける真の神と信じる信仰をもたなくてはならないのです。(蓮見和男『ペテロ書・ヨハネ書・ユダ書』,新教出版p.168)」


 霊のキリスト、肉のイエスを分けて考え、人としてのナザレのイエスが、神としてのキリストである、神であり、同時に人であるイエス・キリストを告白できない人々がでてきたのです。

 似て非なるものを、峻別することが、信仰を保つ際の大切なこととしてここで強調されています。

 かつて、東京にある荻窪栄光教会に森山諭という牧師がいました。私が高校生のときに行った教会(神戸の垂水教会というところで、バークレイ・バクストンという英国の宣教師のながれをくむ教会です)と同じ流れの教会の牧師で、もう召されましたが、この面でとても詳しく本を書かれ、多くのキリスト教の歴史の浅い国であるクリスチャンに役立つ本を出版されました。

 なかなか、判断基準の分からない問題についても、適当な指導なしでは、まよってしまいます。ヨハネの第1の手紙の著者も、そんな若いクリスチャンの迷いを懸念し、正しく導くために、あえて、「〜どうか確かめなさい」(命令形)とすすめたのかと思います。見分ける、吟味するに当たって、本物のアドバイスやことばが必要です。


そして、③のことばとして、4:4に「子たちよ、あなたがたは神に属しており、偽預言者たちに打ち勝ちました」とあります。

打ち勝ちました:ニカオーという言葉が出てきます。

(ルカ11:22 ヨハネ16:33 ローマ3:4, 12:21 Ⅰヨハネ2:13, 14, 4:4, 5:4, 5 黙示録2:7, 11, 26, 3:5, 12, 5:5, 6:2, 11:7, 12:11. 13:7, 15:2,. 17:14, 21:7)


神から出ている信仰者は、目標なく迷わされるのではなく、最終的に勝利を得るとこの著者は、手紙の送り先のクリスチャンに励ましの約束を与えています。この表現がヨハネの黙示録に多いのも特徴的なことかと思います。このヨハネ共同体の著者が黙示録に確実につながっていることを感じさせる箇所です。迷いの多い私達が、神の霊をもっている故に、勝利者としてやがて来るべきときにそれが明らかにされる(レヴェレーション)のです。


 似て非なる教えに惑わされず、ヨハネの言葉にある正しい教えにしたがい、わたしたちのなかにいてくださる聖霊によって、わたしたちの所属を思い、必ず、勝利に導いて下さる神さまの約束を信じ、この年を歩んでいければいいと思います。



4:1〜6にみられる対立的平行法

​4:1 偽預言者

(2:18, 22 反キリスト 2:26 惑わせる者) 


4:2 受肉された神であり人である

イエス・キリストを公に言い表さない


4:3 反キリスト

4:6 惑わす霊

​4:1, 2 確かめる者

(ヨハネ共同体の人々)


4:2 公に言い表す



4:2 神の霊

4:6 真理の霊

4: 1 愛する者たち、どの霊も信じるのではなく、神から出た霊かどうかを確かめなさい。      偽預言者が大勢世に出て来ているからです。

4: 2 イエス・キリストが肉となって来られたということを公に言い表す霊は、すべて神から出たものです。このことによって、あなたがたは神の霊が分かります。

4: 3 イエスのことを公に言い表さない霊はすべて、神から出ていません。これは、反キリス トの霊です。かねてあなたがたは、その霊がやって来ると聞いていましたが、今や既に世に来ています。

4: 4 子たちよ、あなたがたは神に属しており、偽預言者たちに打ち勝ちました。なぜなら、あなたがたの内におられる方は、世にいる者よりも強いからです。

4: 5 偽預言者たちは世に属しており、そのため、世のことを話し、世は彼らに耳を傾けます。

4: 6 わたしたちは神に属する者です。神を知る人は、わたしたちに耳を傾けますが、神に属していない者は、わたしたちに耳を傾けません。これによって、真理の霊と人を惑わす とを見分けることができます。



閲覧数:14回0件のコメント

最新記事

すべて表示

ヨハネ第1の手紙 5:13〜21 (2022年11月12日 Y. A. 兄 講話)

最近は、手紙を書く機会がぐっと減ってきました。簡単な連絡などは、eメールやLineですることが多くなってきました。全く短い文で、時には、親指を立てた絵文字で、「いいね」や「了解」を示すこともあります。eメールで長い文を若い人に送ると「おじさん文」として避けられることもあるようです。送付元の年配の丁寧な配慮に満ちたひとまとまりの文章も、若い人にはやたら長い面倒な文に見えるようです。短い文や絵文字で意

ヨハネ第1の手紙 5:6〜12 (2022年9月10日 Y. A. 兄 講話)

学生時代に17世紀のイギリス、アメリカ史を教えてくださった先生に明石紀雄という名の先生がいました。17世紀は宗教改革後の英米にとって信仰が国を大きく動かす時期で面白く授業を聞いた覚えがあります。細かいことは忘れてしまいましたが、若く長めの髪が印象的で、洗練された爽やかなたたづまいで、非常に明瞭な授業でした。優れた先生であったらしく、私の卒業後に、津田塾大へ招かれ、その後筑波大に迎えられ、最終的には

ヨハネ第1の手紙 5:1〜5 (2022年7月9日 Y. A. 兄 講話)

ミニコンポが壊れてしまって随分経ちますが、今は音楽などは携帯電話 iPhone や iPad で聞くことがあります。音質もかなり良くなってきています。 クラッシックなどに詳しい方なら承知のことであろうかと思いますが、一つの曲の中に は、同じテーマのメロディがなんども少し変化をつけて、出てまいります。バッハなどの曲にはこの同じメロディ、モチーフの繰り返しが良く出てきて、いつ までも聞くことができるよ

bottom of page