私たちは友人のちょっとしたお手伝いで今までバングラデッシュ大使館にビザ申請に行っています。友人は、Delight(デライト)というNPOを立ち上げて、現地に児童施設と小学校を運営しています。今年の4月から大学で臨時講師として、バングラデッシュでの活動について講義を持つことになりました。今年の夏から大学の課外活動として取り上げられ、大学の学生を2回に分けてボランティア研修する予定となりました。それでビザ申請のお手伝いをすることになっています。
先日のことですが、大使館は6月27日から29日は休みで申請がその時はできず、7月3日に手続きをしました。申請許可が7月11日の予定です。休みはイスラム教の祝日Holy Eid-ul-Adha(イード・アル・アドハー)。犠牲祭だったからです。
皆さんは創世記のイサクの物語をご存知かと思います。モリヤの山にアブラハムがイサクを捧げようとする話です。イサク奉献です(創世記22:2−18)。
伝統的にはイスラム教ではこれはイブラヒーム(アブラハム)が息子イスマーイール(イシュマエル)を犠牲として捧げようとしたことと解釈されています。(クルアーン37章102−106)これがイード・アル・アドハー。犠牲祭の始まりとなります。
不妊の女であったサラは、アブラハムへの〈星の数ほど子孫を増やすという〉約束が自分への約束とは信じられず、自分の代わりに側女であるハガルを夫に勧め、子どもをもうけようとします。ハガルは目的通り懐妊し、イシュマエル(「神は聞きたもう」の意)が生まれます。代理出産のようで、サラの子供として受け入れられたと思います。イシュマエルが生まれて13年後に主が現れてアブラハムに言った言葉が創世記17章にあります。子孫の繁栄と割礼とサラの出産。イシュマエルへの神の配慮。イサクへの永遠の契約が描かれています。創世記17章はその後の歴史展開にも大きな影響を及ぼしてくるので、じっくりと読んでおくことが大切かと思います。
旧約聖書とクルアーンには共通する並行記事、エピソードがあります。イサク(イスハーク)ハガイ(ハージャル)サラ(サーラ)。
今日のガラテア4章をイスラム教徒が読めば、その例えに異議を申し立てること間違い無いと思いますが。今回のガラテヤ4章には、このハガルとサラの話が出てきます。パウロの旧約聖書理解が垣間見られるところです。
さて、前回取り上げたガラテヤ3:5以下にはアブラハムの信仰義認・祝福とイエス・キリストを信じる私たちとの関係が記されてありました。主にアブラハムが中心になっていますが、4章ではアブラハムの子孫に視点が映り、その関係で、母たち、ハガルとサラが取り上げられています。
図示して時間軸を設けましたが、今回アブラハムの下にハガルとサラを書き込み、4章を作成していけばいいかと思います。
3章ではアブラハムの祝福や約束が描かれていましたが、4章では、アブラハムの配偶者から生まれる子孫について述べています。ハガルとサラを取り上げ、自由と奴隷の比喩として語っています。
イスマーイール(イシュマエル)イサク(イスハーク)ハガイ(ハージャル)サラ(サーラ)の話になります。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はアブラハム宗教と呼ばれる一神教に属しています。
共通項にあるエピソードも多くありますが、それぞれの解釈によって理解が変わってきます。一神教研究者ではないので、均等にそれぞれの解釈を取り入れる必要はないと思います。ガラテヤ書はパウロの観点から、歴史を見直したもので、それを私たちはキリスト教信仰として受け止めています。そうすることになんら問題はないと思います。
ユダヤ人とイスラム教の伝統の間では、イシュマエルをすべてのアラブ人の先祖とみなしています。伝統的にはイスラム教ではこれはイブラヒーム(アブラハム)が息子イスマーイール(イシュマエル)を犠牲として捧げようとしたことと解釈されています。(クルアーン37章102−106)これがイード・アル・アドハー。犠牲祭の始まりとなります。
イスマーイール(イシュマエル)イサク(イスハーク)ハガイ(ハージャル)サラ(サーラ)を用いて、自由、奴隷、約束、契約などや、今(現実)のエルサレムと上なるイスラエルとの対比など、日本人にはすぐにはピンとはこない例えに使いています。これで、奴隷の位置にまで引き下げる律法主義を非難しています。
こういう例えを用いてまで、自由を重んじ、約束の相続人とされた信仰者の祝福を思い出させているのです。
ガラテヤの信徒への手紙 4
1 つまり、こういうことです。相続人は、未成年である間は、全財産の所有者であっても僕と何ら変わるところがなく、
2 父親が定めた期日までは後見人や管理人の監督の下にいます。
3 同様にわたしたちも、未成年であったときは、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました。
4 しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。
5 それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。
6 あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。
7 ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです。
キリストがあなたがたの内に形づくられるまで
8 ところで、あなたがたはかつて、神を知らずに、もともと神でない神々に奴隷として仕えていました。
9 しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか。
10 あなたがたは、いろいろな日、月、時節、年などを守っています。
11 あなたがたのために苦労したのは、無駄になったのではなかったかと、あなたがたのことが心配です。
12 わたしもあなたがたのようになったのですから、あなたがたもわたしのようになってください。兄弟たち、お願いします。あなたがたは、わたしに何一つ不当な仕打ちをしませんでした。
13 知ってのとおり、この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました。
14 そして、わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあったのに、さげすんだり、忌み嫌ったりせず、かえって、わたしを神の使いであるかのように、また、キリスト・イエスででもあるかのように、受け入れてくれました。
15 あなたがたが味わっていた幸福は、いったいどこへ行ってしまったのか。あなたがたのために証言しますが、あなたがたは、できることなら、自分の目をえぐり出してもわたしに与えようとしたのです。
16 すると、わたしは、真理を語ったために、あなたがたの敵となったのですか。
17 あの者たちがあなたがたに対して熱心になるのは、善意からではありません。かえって、自分たちに対して熱心にならせようとして、あなたがたを引き離したいのです。
18 わたしがあなたがたのもとにいる場合だけに限らず、いつでも、善意から熱心に慕われるのは、よいことです。
19 わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。
20 できることなら、わたしは今あなたがたのもとに居合わせ、語調を変えて話したい。あなたがたのことで途方に暮れているからです。
21 わたしに答えてください。律法の下にいたいと思っている人たち、あなたがたは、律法の言うことに耳を貸さないのですか。
22 アブラハムには二人の息子があり、一人は女奴隷から生まれ、もう一人は自由な身の女から生まれたと聖書に書いてあります。
23 ところで、女奴隷の子は肉によって生まれたのに対し、自由な女から生まれた子は約束によって生まれたのでした。
24 これには、別の意味が隠されています。すなわち、この二人の女とは二つの契約を表しています。子を奴隷の身分に産む方は、シナイ山に由来する契約を表していて、これがハガルです。
25 このハガルは、アラビアではシナイ山のことで、今のエルサレムに当たります。なぜなら、今のエルサレムは、その子供たちと共に奴隷となっているからです。
26 他方、天のエルサレムは、いわば自由な身の女であって、これはわたしたちの母です。
27 なぜなら、次のように書いてあるからです。
「喜べ、子を産まない不妊の女よ、
喜びの声をあげて叫べ、
産みの苦しみを知らない女よ。
一人取り残された女が夫ある女よりも、
多くの子を産むから。」
28 ところで、兄弟たち、あなたがたは、イサクの場合のように、約束の子です。
29 けれども、あのとき、肉によって生まれた者が、“霊”によって生まれた者を迫害したように、今も同じようなことが行われています。
30 しかし、聖書に何と書いてありますか。「女奴隷とその子を追い出せ。女奴隷から生まれた子は、断じて自由な身の女から生まれた子と一緒に相続人になってはならないからである」と書いてあります。
31 要するに、兄弟たち、わたしたちは、女奴隷の子ではなく、自由な身の女から生まれた子なのです。
クルアーン37:102−108
37-102 (この子が)かれと共に働く年頃になった時、かれは言った。「息子よ、わたしはあなたを犠牲に捧げる夢を見ました。さあ、あなたはどう考えるのですか。」かれは(答えて)言った。「父よ、あなたが命じられたようにして下さい。もしアッラーが御望みならば、わたしが耐え忍ぶことが御分りでしょう。」
37-103 そこでかれら両人は(命令に)服して、かれ(子供)が額を(地に付け)うつ伏せになった時、
37-104 われは告げた。「イブラーヒームよ。
37-105 あなたは確かにあの夢を実践した。本当にわれは、このように正しい行いをする者に報いる。
37-106 これは明らかに試みであった。」
37-107 われは大きな犠牲でかれを贖い、
37-108 末永くかれのために(この祝福を)留めた。
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