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ガラテヤ書2章 (2023年3月11日 Y. A. 兄 感話)

 3月11日になりました。2011年に発生した東日本大震災から12年経ちました。多くの命が失われました。命の尊さを思い、命の大切さを考え、震災で学んだことを風化させないために、この日を「災害時医療を考える会」が「いのちの日」として記念日としました。

 日本国内だけでなく、この日が「いのちの日」であることを望みます。


 しかしながら、戦争はまだ継続中で、また最近では干ばつ、山火事、洪水などの自然災害が各国で起きており、つい最近ではトルコで大規模の地震がありました。コロナも終息に近づいているように言われておりますが、SNSの発達した世界においては、連続する自然災害などのような情報が瞬時に世界に共有化されています。


 トルコの地震の震源地を地図上で見てみますと、実はパウロの出身地タルソのごく近くです。ガラテヤ書で取り上げる小アジアは、今のトルコあたりでありますが、初代教会の教会にとって、この辺りの地域が重要であったことがわかります。今はほとんどイスラム教徒の地域になっていますが…


 聖書において、ガラテヤという地域を巡って、執筆年代特定のため、大きく2つに分けて考えられているようです。「北ガラテア」「南ガラテア」説。何れにしても、ユダヤ教の律法(特に割礼)とキリストの福音との関係をはっきりさせた西暦47年代の「エルサレム会議」と関係しています。

 ガラテヤ書はパウロが書いた書簡のうち一番初期のものと言われています。福音書の中でマルコ福音書は一番古いと言われていますが、ガラテヤ書はそれより前に書かれたもののようです。そういう意味で、福音宣教の初期の形態がよく表れています。


 パウロの、非常に個性の強い表現にもかかわらず、一番大切な福音の根幹をなす信仰が表されています。そういう意味でガラテヤ書を捉えることは、クリスチャンにとって非常に重要なことと思います。


 パウロは、人間的な権威づけを求めて、エルサレムへ登ったのではなく、パウロの受けた復活のイエスとの出会い、聖霊の働きが使徒と呼ばれる重だった人々と同等であり、互いに認め合うべきものとして捉えていたようです。その1回目のエルサレム登城からか、または回心からか14年経って、バルナバとテトスとともに再度エルサレムへに上りました。これは啓示に従ったことでありました。その目的は、


2:2 そこに上ったのは、啓示によってである。そして、わたしが異邦人の間に宣べ伝えている福音を、人々に示し、「重だった人たち」には個人的に示した。

それは、わたしが現に走っており、またすでに走ってきたことが、むだにならないためである。


 同行者、弟子のテトスはギリシャ人でいわゆる異邦人クリスチャンでしたが、誰も割礼を強制されませんでした。しかし、その後でやってきたユダヤ人クリスチャンのうちの一部がこの割礼を受けさせようと働きかけたようです。割礼というユダヤ人にとって、食物規定や安息日厳守などと同じく大切な律法の問題でした。 

 全てのユダヤ人クリスチャンがこの人たちと同意見であったわけではありませんでした。単純にユダヤ教徒とパウロを中心とするクリスチャンという対立構造で捉えるのは、問題を単純化しすぎだと私市先生は警鐘を鳴らしています。まず、当時のクリスチャン世界は非常に多様性に満ちたものであり、その背景を考えないとパウロやペテロの行動、表現が理解できないとしています。


(私市元宏『使徒パウロの継承思想』p.34によれば、パウロを取り巻くクリスチャンは、多様であったことがわかります。その分類によれば、

A.保守的なユダヤ教徒 

B.ディアスポラ(比較的自由なユダヤ教徒)

C. 保守的なユダヤ人キリスト教徒

D.ヘレニスト(比較的リベラルなユダヤ人キリス教徒)

E.ユダヤ教に改宗した異邦人

F.異邦人キリスト教徒

G.大多数の異邦の諸民族


ユダヤ系キリスト教徒においても、以下多様な出身、宗派の人々がいます。

 a.ユダヤ人

 b.サマリア人

 c.ガリラヤ人

 d.クムランを中心とするエッセネ派

 e.ファリサイ派

 f.洗礼者ヨハネの宗団からの流入者

 g.イエス語録集を生み出したQ諸集会の人たち  


 「パウロを取り巻くこの多様性は、現在の私たちを取り巻く「キリスト教」の多様性と複雑な相互関係に匹敵すると言えなくもない。」)


そういう多様な世界を背景に、福音宣教に対する考えが展開されていくわけです。


2:6 そして、かの「重だった人たち」からは―彼らがどんな人であったにしても、それは、わたしには全く問題ではない。神は人を分け隔てなさらないのだから―

事実、かの「重だった人たち」は、わたしに何も加えることをしなかった。

2:7 それどころか、彼らは、ペテロが割礼の者への福音をゆだねられているように、わたしには無割礼の者への福音がゆだねられていることを認め、

2:8 (というのは、ペテロに働きかけて割礼の者への使徒の務につかせたかたは、わたしにも働きかけて、異邦人につかわして下さったからである)、このように、エルサレムで活躍していた弟子たちもパウロの宣教については神からきたものと理解し、

2:9 かつ、わたしに賜わった恵みを知って、柱として重んじられているヤコブとケパとヨハネとは、わたしとバルナバとに、交わりの手を差し伸べた。そこで、わたしたちは異邦人に行き、彼らは割礼の者に行くことになったのである。

2:10 ただ一つ、わたしたちが貧しい人々をかえりみるようにとのことであったが、わたしはもとより、この事のためにも大いに努めてきたのである。


 これでペテロのエルサレムを中心とするクリスチャングループとパウロのアンテオケを中心とするクリスチャングループの2つが一つとなってキリストの信仰の宣教が大いに飛躍すると思われたのですが、2:11から風向きが違ってきます。

ここからは、2:21までは初期教会で起こってきた大問題と、福音の本質についての表明がなされます。このことがなかったら、現在のキリスト教は存続していなかったかもしれないと思われる大転換点です。

 当時の歴史的背景や構成されていたクリスチャンや思想が多様であり、簡単に2分できるものではないのですが、律法と福音、クリスチャンの自由、多様な文化の中で宣教することの意味など、大切な問題が多く含まれています。

 律法、義、信仰、十字架の死、生きること、神の恵みなどの言葉が使われ、論旨が展開されていますが、なかなかスッと理解できないものがあります。


2:19 わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。

2:20 生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。


 わたしが、高校3年生の頃受洗したんですが、その時に受洗記念として頂いた本にウォチマン・ニーという人の『キリスト者の標準』というのがあって、確かクリスチャンの標準は、この言葉通りであると記されており、そういうものかと感心したことがありますが、パウロがここで言っている意味を深く捉えられていたかはよくわかりません。キリストとの一体化という意味では理解できたのですが、律法の死などということはまだ不十分にしかわからないです。


 この2章でキリスト教信仰、宣教は大転換をしたことは確かです。ルター始め多くの神学者、宗教改革者がこの言葉で、その後の人生を変っていったと言われます。キリストが我がうちにいますということの絶大な恵みはどんなクリスチャンにとっても記念すべき大きな体験です。これ抜きにしては、信仰など無意味なものであろうかと思います。


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