(聖書箇所:ヨハネの手紙 第1)
この手紙は、『ヨハネの手紙 第1』と呼ばれてきている。一体これは、誰が、誰に対して書いた『手紙』なのだろうか。概説や緒論によって、その概要は知ることができるが、できるだけ、本文のなかから、読み取ってみよう。
誰が著者か?本文には著者名はでてこない。「私たち」「わたし」という人称名詞がでてくるだけである。「わたし」という個人の背後に「わたしたち」とよべるグループがあったことを想像させる。グループの代表者としての「わたし」か。
宛先は誰か。呼びかけのことばがいろいろある。
「わたしの子どもたち」「愛する者たち」「子どもたちよ」「父たちよ」「若い者たちよ」
「小さい者たちよ」
わたしがこう呼びかける相手はいろいろな年齢層の人がいるグループ。わたし、わたしのグループとの関係はどうか。文書にしているということは、互いに離れた所にいるということ。なぜ離れているのか。かつて同一グループであったものが、なんらかのかたちで別れ別れになったのか。
なぜ、この文書の形をとったのか。「手紙」という表題がついているが、通常予想される
書簡とはずいぶん違う。(日本の「一筆啓上 火の用心 お千なかすな 馬肥やせ」は戦場の武将が家を守る細君に送った実用的な非常に短い手紙である。)
『ヨハネの手紙 第1』はどういうことを目的(著者の勧め、警戒、教え、確認)にしているのか?文章化するということは、特定の、特に自分と相反する立場に立つ者にたいする弁明(アポロギア)が強くでてくると思われる。
まず、警告的なことば(禁止、否定的な文章)からみていくと、著者が何に対し、注意しなければならないか、また、何が本当なのかを明らかにしようとしているかがわかる。
1:8 「罪はないというなら、私たちは自分をあざむいており」
1:10「罪をおかしてはいない」(そう言う人があて実際いたらしいことがわかる)
2:4 「偽り者」
2:18「終わりのとき」(この文書を書かざるをえない緊急性を感じさせる語)
2:18「今や多くの反キリストが現れています」(前から聞かされていたことが現実になった」
2:19 「彼らは私たちの中から出て行きましたが、もともと私たちの仲間ではなかった」
2:26 「あなたがたを惑わそうとする人たち」
4:1 「霊だからといって、みな信じてはいけません」
4:3 「反キリストの霊」4:4「彼ら」「この世のうちにいる、あの者」
4:5 「この世の者」4:6 「偽りの霊」
5:21 「偶像に警戒しなさい」
つぎに、勧めのことば群(「〜しなさい」「するばずだ」等のことば)に注意をはらうと、自分である程度、全体像のイメージがつかめたら、いままでの研究成果を利用して、
本文ではわからない背景知識やその他の文書との関係をしることで、より広い視野にたってものごとをかんがえることができるようになる。
その際、必要なのは.霊的なことをおもんじるとともに、知的な誠実さをうらぎらない良心的な註解である。
私市元宏『改訂版 ヨハネ福音書 講話と注釈 上巻』pp.77〜119
図表1
図表2
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