註解書を読まないで、何度も繰り返し読んでみて、全体のおおきな枠組みを自分なりに整理してみる。それによって、なにが問題になっているのか、誰が主張しているのか、どうして今なのか、などがおぼろげながら、みえてくる。
そうすると、分かっていることと分かっていないこと、知っていることと知らないこと、これから知りたいことなどがよりはっきりしてくる。
また、表面上文章上出こないが、そのやりとりをしている人たちには、共通認識として理解していることがらなどがあり、単に文書を読んでいくときに、何か腑に落ちない点として残るものがある。
これから、先をすするめるためには、聖書辞典、コンコルダンス、註解書など必要になってくる。
人によっては、「自分は神さまとだけ相談して理解するので、註解書や辞典はいらない」という方もいるかもしれない。「出版されている物は信用できない」と確信している人もいるかもしれない。
そういう人は、地図やナビゲーションなしに、目的地にたどり着こうとする人のようにみえる。神さまと深い交わりの中で知恵を得ているから、他の人のことばは不必要だというひとは、うまく行けば、目的地に着くことがあるかもしれないが、途中で迷路に入ってしまうこともあるでしょう。
航海するには、何度も海を渡って、目的地に着いた人たちの経験の結果の集積である「航海地図」チャートが、一番役に立つ。海路の地図は、本物の波や流れが見える訳ではない。だからといって、それは偽物だということことにはならない。使い方の問題であり、使う人の問題でもある。一歩進めるためには、細かい註解書、辞書、コンコルダンスなどが必要になってくる。
前回分かったことなどをあげていくと、
著者:「わたしたち」とよべるグループを背景とした 代表としてのわたし
宛先:かつて同一であったらしいグループの人々(なんらかの理由で離れることになった)
執筆動機:終わりの時、終末の緊急性
執筆内容:自分たちと相反する立場に立つ者にたいする弁明と自分たちの確信する事実とその結果としてのあり方(著者の勧め)
問題点:著者のグループに相反する立場に立つ者たちは、かつて同じグループに属していたらしいこと。初代教会の時代において、すでに信仰を異にする教えを説くグループが出来ていて、驚異的な影響力をもっていたらしいこと。初代教会の時代は必ずしも純粋で一致した信仰を全ての信仰者がいだいていた訳ではないこと。
著者について
わたしとは誰か?
現代の著作権という考えのない時代である。古代からの伝承によれば、この「わたし」はヨハネとされる。本人が直接、筆をとって書きおろさなくても、口述筆記という方法をとったとしても、ヨハネらしさがあれば、ヨハネの作とされたであろう。ただし、ヨハネについては、単一の人と見るか、複数の人と見るか、グループの代表と見るか、初期キリスト教教父や歴史家の意見はさまざまである。
① 使徒ヨハネ=ゼベタイの子ヨハネ(伝統的な解釈)
初代教会の教父
ポリュカルポス(69?〜155年?)
パピアス(70?〜146?)
エイレナイオス(130?〜200年頃)
ポリュクラテス(125?生 190?小アジアのビショップ)
アレクサンドリアのクレメンス(150?〜215?)
② 長老ヨハネ
ヨハネ第2の手紙、第3の手紙の冒頭には、発信者がみずからのことを「長老」と書いて、呼びかけている。この長老とは、使徒ヨハネとは別人物と考えられる。
パピアス(70?〜146?)が①とは別人物として言及
アレクサンドリアのディオニュシオス(190?〜264?)
二人のヨハネを区別した
③ その他のクリスチャン
ヒエロポリスのパピアス:ヨハネの口述筆記
プロコロ:ヨハネの口述筆記
ヨハネと呼ばれる別人(預言者的な人物)
今日、歴史的批判の立場に立つ研究者は、初期キリスト教会の伝統的な伝承については、否定的である。
大貫隆(岩波書店『新約聖書Ⅲ ヨハネ文書』)は、「ヨハネの手紙 解説」p. 152にこう書いている。
「三通の手紙とヨハネ福音書は通常[ヨハネ文書]と一括して呼ばれる通り、独特な文体と神学の上で相互に多くの共通点を示している。その共通の母体として、原始キリスト教の多様な思想的展開の中でも独自の地位を占める信仰共同体が存在したことは間違いない。しかし同時に、四つのヨハネ文書相互の間には文体と神学の微妙な差異も認められる。この共通性と差異を互いにどう考量するかによって、執筆者についての研究者の判断も分かれてくる。現在までのところ、次のような見解が表明されているが、最終的な一致を見ていない。
① 福音書と三通の手紙すべてが同一の執筆者、
② 福音書と第一の手紙の執筆者は同一、第二と第三の手紙の執筆者は別、
③ 三通の手紙の執筆者は、同一、福音書の執筆者は別、
④ 第二と第三の手紙の執筆者は同一、第一の手紙と福音書の執筆者はそれぞれ別。
私自身〈大貫隆〉は③あるいは④が妥当な想定だと思う。
いずれにせよ、[ヨハネ文書]を生み出して伝承した者たちは、一定の地域に複数の個別教会に分かれて生活しながら(Ⅱヨハ10、Ⅲヨハ5-7参照)、独自の歴史を刻んで行った者たちであり、手紙の執筆者は彼らを束ねる精神的な指導者であったと考えられる。」
わたしたちとは(著者のグループについて)
著者が特定されないにしても、この文書が一つの信仰共同体の産物であることは、多くの研究者に支持されている。それを、ヨハネ共同体とかヨハネ教団とよんで、エルサレム中心の使徒たちのグループと分けてかんがえられている。
このグループのことについては、私市元宏『改訂版 ヨハネ福音書 講話と注釈 上巻』(コイノニア出版,2019)の5章「ヨハネの手紙と共同体の分裂」(pp.77-96)と6章「ヨハネ共同体と分離派」(pp.97-119)がとりあげており、この手紙の背景がよく分かるようになっている。
これを読めば、初めにわたしが何度も読んで疑問に思った点など、著者、宛先、執筆動機、執筆内容、問題点の背景知識を、かなり得ることができる。
学問上良心的で、しかも霊的な註解書というのは、なかなか見つけにくいかもしれない。1つ自分の目で確かめて、標準的と思える註解書を軸に、深めていくという方法があるかもしれない。
基準のものを決め、そのほか、代表的とされるものを数種類読み比べ、よく自分のあたまで考え、こころのなかで、反芻し、祈って求めて行くときに腑に落ちる時がくるのではないかと、わたしは思う。知識を単に知識に止めず知恵に変え、聖霊の導く叡智にまで達することができたら、新しい展望がみえてくるように思えます。
Comments