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ヨハネによる第1の手紙について② (2020年5月9日 Y. A. 兄 講話)


序文について

<序文には著者の思いが凝縮されている>


 今、わたしは アメリカ人の宣教師候補の人に日本語をインターネットを使って教えています。3月までは、東京の板橋に学校法人の教室で1クラス20名ぐらいの生徒に週何回か三つくらいの別のクラスに教えていました。コロナウイルスのせいで学校も再開できていませんし、このさきどうなるかも分かりません。新入生たちも外国からやってくることが出来ません。また、日本にいる2年目の学生も新年度を始めることが十分出来ていないようです。わたしは、千葉に住んでいますので、今は東京へは通えません。


 学校と別に、アメリカ人の方に日本語を90分づつ、週2回おしえています。Zoomという通信手段を使っての授業です。依頼をうけて、教えていますが、いつも授業を始める前に、すこし小話を準備します。説教や落語で言えば、まくらにあたる部分です。ここでは、なにか楽しいこと、ユーモラスな話題など緊張をほぐすことをはなします。この間は、知り合いのお子さんのはなしからはじめました。おとうさんとルカちゃん3歳の女の子のはなしです。

 在宅中のおとうさんとルカちゃんはお遊びで、しりとりをしました。たぬきーきつねーねこ・・・・ルカチャンは「こ」のところにきたとき、ルカちゃんは大きな声ではっきりと『コロナ』とこたえました。

 こんなふうにすこしユーモラスなはなしで、インターネット授業をはじめます。


 なにごともはじめというものは、緊張していて、なにが始まるのだろうかとという期待と不安でいっぱいです。だから、落語の名人や、映画の名作は出だしに非常に力をいれています。あまり、力がこもっていないように見せて、最新の注意をはらって、あとの展開につなげていくのです。教会の牧師の名説教家にも、こういうでだしをうまく使って、聴衆のこころをつかむ人もいるかもしれませんね。

 文章においても、はじめの部分、冒頭は、とてもたいせつです。


 日本の古典では、

 いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなききはにはあらぬが、すぐれて時めきたまふものありけり。

 とか 、

 行く河の流れは絶えずして、しかも もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、ひさしくとどまりたるためしなし。

 とか、

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

など、リズム、口調がよく、覚えている人も多いのではないかと思います。


 日本の古典に限らず、名文には 必ずと言っていいほど、序文に著者の思いがこめられています。

 Of Mans First Disobedience,and the Fruit Of that Forbidden Tree,…

 人の最初(いやさき)の不従順(そむき)よ、また禁断の樹の果(み)よ

 このように、みなさんの好きな文章には、印象的な序文というものがあるとおもいます。

では、ヨハネの第一の手紙の1章の冒頭をみていきましょう。

 

1:1 初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言について

1:2 このいのちが現れたので、この永遠のいのちをわたしたちは見て、そのあかしをし、かつ、あなたがたに告げ知らせるのである。この永遠のいのちは、父と共にいましたが、今やわたしたちに現れたものである―

1:3 すなわち、わたしたちが見たもの、聞いたものを、あなたがたにも告げ知らせる。それは、あなたがたも、わたしたちの交わりにあずかるようになるためである。わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである。

1:4 これを書きおくるのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるためである。

1:1 Ὃ ἦν ἀπ’ ἀρχῆς, ὃ ἀκηκόαμεν, ὃ ἑωράκαμεν τοῖς ὀφθαλμοῖς ἡμῶν, ὃ ἐθεασάμεθα καὶ αἱ χεῖρες ἡμῶν ἐψηλάφησαν περὶ τοῦ λόγου τῆς ζωῆς–
1:2 καὶ ἡ ζωὴ ἐφανερώθη, καὶ ἑωράκαμεν καὶ μαρτυροῦμεν καὶ ἀπαγγέλλομεν ὑμῖν τὴν ζωὴν τὴν αἰώνιον ἥτις ἦν πρὸς τὸν πατέρα καὶ ἐφανερώθη ἡμῖν–
1:3 ὃ ἑωράκαμεν καὶ ἀκηκόαμεν, ἀπαγγέλλομεν καὶ ὑμῖν, ἵνα καὶ ὑμεῖς κοινωνίαν ἔχητε μεθ’ ἡμῶν. καὶ ἡ κοινωνία δὲ ἡ ἡμετέρα μετὰ τοῦ πατρὸς καὶ μετὰ τοῦ υἱοῦ αὐτοῦ Ἰησοῦ Χριστοῦ. 
1:4 καὶ ταῦτα γράφομεν ἡμεῖς, ἵνα ἡ χαρὰ ἡμῶν ᾖ πεπληρωμένη.
 

 ヨハネの第1の手紙の1章1節から4節までは、この手紙の序文にあたります。

 

 聖書の序文は、文章の最初にでてきますが、重要度において、書物全般の結論と思えるほどです。学者の中には、序文等は文書を書き終えた後で、一番最後に書いた可能性がある、という人がいます。現在の書物の執筆方法を考えると、時系列てきには一番はじめに序文を書いたように思えますが、かならずしもそうではないのです。現代の作家でも、作品が完成してから、執筆動機を本文とは別に前書きとして付け加える人もいる通り、最初にあるから、最初に書いたと考えなくてもいいと思います。


 1:1の文章についてみてみると、不思議な文型で文章がはじまっています。すくなくとも日本人にはなれない文型です。

 日本語の訳ですと、〜もの、〜もの、〜もの、〜もの、〜もの、〜もの、7回くりかえされています。訳によっては、「もの」のところが「こと」になっている場合もあるかとおもいます。どの訳にいたしましても、ここで使われている原文の語は‘ho’という関係代名詞であります。ο ην απαρχης (ホ エーン アップ アルケース)という言葉で始まっています。

 中学の英語の時間で出てくる関係代名詞というのがあり、日本にはないため、わかりにくくなっていて、にがてな人も多いかもしれません。これを日本語にするために、むりに後ろ側からさかのぼって訳します。何々したところのなになにというふうな言い方で訳すよう教えられて来たとおもいます。What you need is love. あなたが必要としているところのものは愛です。ビートルズでは All you need is love.というような歌詞になっていますが、おなじように後ろからさかのぼって訳して行きます。


 実は、このヨハネの手紙の1章1節もこういう文で始まるのです。ギリシャ語の関係代名詞であるはたらきをする語から始まる。ギリシャ語の関係代名詞は単数、複数の違いのほかに、男性、女性、中性と三つあり、そのうえ、「子どもが」、「子どもの」、「子どもに」のような「て・に・を・は」の違いが四種類在りますから、2×3×4で24になり、関係代名詞もそれに見合った形が24個あります。


 1:1では、o(ホ)という関係代名詞が使われています。ο ην(ホ エーン) あったところのもの、存在していたところのもの。英語の直訳だとThat which was とか What was とかに訳されることばです。この関係代名詞は中性単数の関係代名詞で先行詞がありません。

急に、「もの 」あるいは「こと」が「あった」「存在した 」とはじまるわけです。ホ・エーン ものがあった ことが存在した。非常に不思議な文章のはじまりです。普通の手紙なら、拝啓とかおかわりありませんか等のことばではじめますが、そんなきまりきった挨拶やご機嫌伺いなどは、まったくなく、「ことがあった」と書き出すのです。

 この書き方、思い出しませんか。ヨハネ福音書の初めの文章に似ています。「初めにことばがあった。」(Εν αρχη ην ο λογος)こういう文体的なことからも、発想法も良く似ているので、ヨハネ文書として考えられて来たとおもいます。

 次に、エーンというギリシャ語、存在する、あるという言い方もヨハネ福音書の1:1にでてきます。「ことが存在していた(はじめから)」がヨハネ第1の手紙の1節のしょっぱなにでてくることばです。エッと思うようなはじまりですが、これが、ヨハネ共同体にとって、大切なことがらであったと思われます。この言葉は、ヨハネのみならず、創世記の1章を思わせるものがあります。「こと」は「ことがら」であり、「できごと」です。ヨハネ第1の手紙で初めにイエスのできごとをとりあげているのです。

 このコイノニア会では、「イエスのできごと」に重点をおいて、まじわり(コイノニア)をつづけています。そのいみでこの手紙はわたしたちのまじわりと同じ精神をもって信仰にとりくんでいるといえます。

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